ちょっとした記事にも『ユーモア』が入ってるかどうかで、読み手の受ける印象はまるで違ってくるんです。
自然と出てくるユーモアは書き手の心の余裕も感じさせてくれるし、なにより文章が読みやすくなるよね。
たまに立派な記事がFacebookなんかで回ってきて、頭のいい人たちが
「これくらい読んどけよ」
なんて言ってて。
そりゃ、いい記事かもしれないけど、面白くないんだよってね。
学校の授業なんかもそうなんですよ。
方程式とかそういうのはよく分からないけど、国語とかさ、日本で生きてて、僕らは言葉と文章で自分の意思を伝えたり、人の意思を受け取ったりするのに、絶対やれば自分の役に立つんですよ。
だけど、やらない。
やれない。
つまんないんだよね。
話しが眠いんですよ。
じゃあ、自分の話しはどうだろうって。
国語よりも役に立つかどうか分からない自分の話しは、どうやったら聞いてもらえるかって。
役に立つことも面白くなきゃ聞いてもらえないのに、僕らの文章はどうだろうって。
ね?
不安になってきたでしょ(笑)?
最初は人に習うの。
じゃあどうやったらユーモアのある文章が書けるのかなっていうと、分からないんですよね。
だから最初は、人の真似をするところから始まります。
これ、みーんなそうです。
ちょっと話しがズレるんだけど、何度やっても何回やっても上手くいかない人の特徴って、人のやり方に学ばないんです。
これはまるっとごそっと人の真似をしなさいとか、そういうことじゃなくて。
いや、できたらそうした方がいいことはたくさんあるんだけど。
例えば、人の集まる場所には、人が集まってる理由があるんですよ。
ほら、ディズニーランドなんかに行くと、スタッフ全員が夢の国のプロじゃないですか。
僕は行く度に身が引き締まるんだけど(笑)
で、地方のレジャーランドに行くと、愛想がない。
多少はあるんだけど、やっぱりディズニーランドと比べたら、明らかに「お客を楽しませるために、俺達は徹底的にやるぞ!」という気合いとか、誇りがないよね。
じゃあ、あなたが地方のレジャーランドの社長で、この先そこを潰さないようにしようとしたら、まずはスタッフの教育をするでしょ?
教育をするには、「どれくらいのレベルになってほしい」っていう「基準」がいるよね。
その「基準」はどこで学びますか?っていうと、ディズニーランドなんですよ。
だけどここでセンスの無い人は、新しいジェットコースターを建てるんです。
何千万円も掛けて、建てて、愛想の足りないスタッフを立てる。
これじゃあ、倒産一直線だよね。
子供でも分かる。
新しいジェットコースターなんか、いらないんですよ。
スタッフに「これくらいのレベルでやるぞ!」って言って、一緒に頑張って、お金を掛けたいなら、剥がれたペンキを塗り直したり、倉庫みたいなところを隠すように植木を植えたりするんです。
その先で、売り上げが上がってから、新しいジェットコースターを建てるから、話題になるんだよね。
「あの素敵なレジャーランドに新しいジェットコースターが!」みたいな。
で、ここまでのことが分かったら、次は我が身です。
例えば僕は「さくらももこ」さんと「土屋賢二」さんの文章から多大な影響を受けてます。
論文長で、ナンセンスなジョークを言う、みたいな。
まあ論文長の文章だと、ビジネス系のブログはものすごく固くなっちゃうから、ここじゃあ「斉藤一人」や「神田昌典」さん始め、著名なビジネス書の著者の方に習って口語調です。
どれくらい無駄なことを入れようとかね、言い回しとか、そういうところを。
で、書き方やスタイルも、度々変わるんです。
その度に「読みやすいかなあ」とか、「SNSでどれくらいいいねが付くかなあ」とか、そういうところをじーーーっと見てます。
もちろん、googleアナリティクスなんかもちゃんとチェックしてます。
そういうことも、人から学んだんですよね。
「おもしろい」も人から学ぶ
じゃあ僕は何が面白いだろう、っていうことなんです。
あんたはどんなことが面白いんだい?ってことなんです。
なんだけど、だいたい人は自分のことをよく見てないから、分からないんですよね。
だから「自分の好きな事が分からない」とか、そういうことになる。
自分が何を面白いと感じているのかは、単純に、最近一番笑った時のことを思い出せばいいんです。
最近とんと笑ってないって人は、別口でカウンセリングを受けた方がいいね(笑)
人を感動させる人の感情が動いてないっていうのは、それ八百屋が良い野菜を見分けられないのと同じだからね。
で、さっきのレジャーランドの話しね。
センスの無い社長は、新しいジェットコースターを建てたよね。
センスのない人は、新しい話しのネタを仕入れようとするんです。
でも、違うのね。
センスのある人は『この話しをどういう風に喋ったら面白くなるだろうか』ということを研究するんですよ。
「何を伝えるか」ではなく「どう伝えるか」
それを研究して追求して探求している人は、例えば手元からケータイが落っこちたっていうだけの出来事を、しこたま笑える話しにしたり、グッときて泣ける話しにしたりします。
どう持っていくか、っていう話しなんですよね。
この考え方が身に付けば、そもそも「ブログのネタがない」とか、そういうことが無くなります。
だって何書いたって面白くできるんだもん。
それで、もう分かってると思うんだけど、これは何も文章術だけじゃなくて、お喋りでもそうなのね。
何なら、僕らの本懐である音楽とか、パフォーマンスとも同じだよね。
僕らの周りには、常に人がいるでしょ?
今の時代なら、現場に行かなくてもある程度の情報はwebで集められるしね。
そしたら、その人を見て、学べばいいよね。
どうしたら面白いのか。
どうしたら面白くないのか。
だよね。
面白いものをしっかりと求めてるか、なんだよね。
もうとっくに、人から学んでるのよ
人の世には『法則』みたいなのが、かなりたくさんあるんです。
それをいくつ見つけられるか、なんですよ。
その『法則』を見つける唯一の方法が、コール&レスポンスなんです。
先輩がやってることを見て聞いて読んで、じゃあ自分はどうするかっていうコール&レスポンス。
お客さんが喜んでるかどうかってことを汲み取るコール&レスポンス。
自分は今楽しんでるかなっていうコール&レスポンス。
みんな、ずっとコールしてくれてるんですよ。
自分がレスポンスを返してないんです。
ユーモアのある文章は、「これがユーモアだよ!」っていうコールをしてくれてるのね。
じゃあ、自分は「こうするとユーモアなのかな!」っていうレスポンスを返すんです。
ライブハウスの客席が埋まらなくても、真面目な顔をして「空席を除き満席」って言えば、笑ってもらえる。
「いい曲ですね!」って言われた時に、「そうでしょう!俺グラミー賞を5回はもらってます。」って言えば笑ってくれる。
ユーモアのある人って、いるんです。
その人たちをしっかり見て、どうやって楽しくしてるのか、こうするとユーモアが出るってコールをしてくれてて、自分はどんなレスポンスを返すのか。
他のこともそうだけど、例外なくユーモアも、そうやって覚えていけばいいんだよ。