ブログですよ。SNSですよ。書きたいことを書かなくてどうするの。

いつもの逆のことを言ってるように感じるかもしれませんが、全然逆じゃあござんせん。

例えば、日々の生活の中で疲れに疲れて愚痴のひとつも書きたくなった。そんな時は、書きゃいいんですよ。だってそこには法律なんかないんだから、書いて罰せられるということはありません。

ただ、ただね、ここにちょっと難しいポイントがあるんです。

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「本当に書きたいことを書く」ということ。

僕、ブログやSNSには「理想の自分になって記事を書こう」ということをよく言ってます。何せ「理想の自分」ですから。その自分が書くことが、今の自分の書きたくないことの訳がないよね。

だけども、「理想の自分」って言うと、首がキュッと締まるような息苦しさを感じることがあるの。

ちがうちがう。それ、間違ってる。理想の自分って、もっと楽だから。

その「事実」を「理想の自分」ならどう捉えるか

たとえば、今月の収入が少なくて、月末に家賃の支払いを滞納してしまった。これって、たぶん書きたくないことだと思います。

だけど、家賃滞納はもはや事実。ありゃりゃって笑って済ませられればいいんだけど、ウムッウムムムムなんつって自分の中にズンとくるようなら、どうにかして浄化してあげないといけません。

で、ここで落ち込みがちというか、自分を責める癖のついてる人は、家賃もロクに払えない自分はダメなヤツだ、とか何とか言って思い詰め始めます。

何言ってんだいと。

この時、「家賃を払えなかった」っていうのは「事実」です。それを「家賃を払えない自分はダメなヤツ」と「解釈」するから、話しがややこしくなるのよ。

だってその「解釈」のまま「理想の自分で記事を書け」なんて言われたら、苦しくなるでしょ?「理想の自分とは程遠い自分」を感じながら、誤魔化しだか自虐だかの記事を書くことになっちゃうでしょ?

それって、本当に書きたい記事なの?

ちがうでしょ。もしそうなら、「理想の自分」なんて言葉に首を絞められたりすることはないもの。

ただの「事実」を間違った「解釈」で受け止めてるから、いつまで経っても「理想の自分」が近付いて来ないんです。「事実」を「理想の自分で解釈」すれば、どんな出来事も、自分を責めることなく受け止められます。

「理想の自分」なら、どう思う?

「理想の自分」は家賃を滞納したりなんかしないわい!

ってね、気持ちは分かるんだけど、それも間違った「解釈」からの感情だよね。それに、「理想の自分」は常にあんたの隣にいるからね。あんたが家賃を滞納したら、「理想の自分」もいっしょになって家賃を滞納してんのよ。

だから諦めなさいw

そのかわり、「解釈」の部分を「理想の自分」に任せてみましょ。家賃を滞納してしまった。さぁ、あんたの「理想の自分」は、その程度の事実に打ちひしがれてすっかり自信を無くしちゃうような人ですか?

・・・違うよね。

きっと、「じゃあどうしようか」って次のステップに進んだり、「あはは!やっちゃった!」って笑い飛ばしたり、そいういうことができる人なんじゃないかな。

だから、あなたもそうしていいんです。だって「理想の自分」が「次行ってみよう」とか、「あはは!」って言ってるんですよ。「理想の自分」がだよ!?(しつこいw)

だったら、それを信じればいいじゃない。落ち込んで、打ちひしがれているべきだっていう勘違いを、捨ててしまえばいいじゃない。

「理想の自分の解釈」が、本当に書きたいこと。

ただの「事実」を間違った「解釈」で受け止めたことと、「理想の自分の解釈」で受け止めたこと。どっちが、本当にあなたが書きたいことですかね?

そんなもん、考えるまでもないでしょう。

僕らは何か間違いを犯した時に、「反省しなきゃいけない」「落ち込まなきゃいけない」「縮こまらなきゃいけない」という変な思い込みを持ってます。注意したり叱った相手がケロッとしてるとムカムカくる方は、特にその傾向が強いですな。

だからそれ、全部手放してください。自分がこれから縮こまるぞ、落ち込むぞっていう体勢を整えた時に、「待てよ、ここで落ち込まないでいてみたら、どうなるんだ?」っていう遊びを試してみてください。

遊びっていうとダメだと感じちゃう人は、実験とか検証とか、もうちょっと硬い言葉にしてみてね。そうしたら、落ち込まなくてもいいんだっていうことに気付けるから。

その先で出会う感情や言葉が、あなたが本当に書きたいことです。

いけいけ。振り切れ。僕が許す。責任はとれんがw

ということで、今回はこの辺で。

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