カヴァー曲を演奏する時の”マナー”って・・・?

ステージの見せ方を考えてやまない
長老と若者の往復書簡録9

syokann

往路 長老 いしはらとしひろ から 前途有望な若者 山本優作へ

のう、ヤマモト。
マナーは大事じゃの。
衣食足りて礼節を知る、というが、衣食が足りなくても 礼節は知っておいたほうがいい。

人とのやり取りを円滑にし、なおかつ 自分を守る防具でもあるからな、礼節は。

さぁて。
カバー曲をやるにあたって 「マナー」なんてもんが必要なのかの?
「スタンド・バイ・ミー」をライブでやりたいから、という理由で
マナー教室に通うところから始めなければならんのか?

いや、その辺から始めたほうがよい輩もいるようじゃのう。

そもそもなんでカバー曲をやるのじゃ?
自分のオリジナルに自信があるのなら、オリジナル曲だけでもよいではないか。
然り。
オリジナル曲だけで、自分のライブを構築する人は山ほどおる。
しかし、ライブの中に 自分以外の人のレパートリーとして有名な曲を織り交ぜることもままある。
ヤマモト、映像の中でええこと言っておったな。
これは~さんの曲ですけど、僕の曲なんですよ。
そうとしか思えないから 敢えて人様に聞かせる。
もうこれで答え出てしまったようなものじゃの。

言い方を変えれば、そこまで思えなければやるべきではない。

最近、「無欲の音楽」というものについてふと思うことがあるのだが、
音楽の向こうに余計な計算やら打算やらが透けて見える時がある。
それらが悪いわけではない。そういうものが 音楽を前進させることだってあるからの。
じゃがしかし。
そういうものが見えてしまった時に、客として萎えてしまうときもある。

人の曲をやるときには 自分の曲をやる時以上の繊細さと その曲(あるいは作者やオリジナル版の演者)に対する敬意が必要だ。
それは多分、「自我を少なくして より、音楽そのものに奉仕すること」という風に思えることもあるのじゃな。

その曲のもともとの演者が伝えようとすること、わしらカバーをするものとでは、同じ曲でも 見ている景色は多分違う。
違ってよいし、違って当たり前、とも思う。
その違いを どんな風に見せるか、どんな良さを見出すのか。
その過程が見えるとスリルも増すというものじゃ。

いや、いちいちカバーを歌うときに、そんなことまで考えなくてもよいのかもしれん。
でも、音楽の神様は 意外と厳しいんだな、というのは最近なんとなく見えてきたのじゃ。
ほれ、何せわしも年寄りだ。いろいろなものが見えてしまうのだなぁ。ふふふ。

前途有望な若者 山本優作 から 長老 いしはらとしひろ へ

礼節、僕の周りの人間に最も欠けている感覚です。

そもそも礼節というのは想いやりです。
その場所に根付いた文化によってルールは異なりますが、その根底には相手を想いやるという発想があります。

例えば、往復書簡という対談コンテンツにおいて、往路で言うべきことを全て言ってしまうという行為などは、想いやりが欠けていると言えます。
だってほら僕もう何も書くことないもの。

ということで、悪あがきで論点をズラしてみます。
まだまだ若若しくてピッチピチで未来のある僕には見えていないのかもしれませんが、何やかんや「人による」ということを忘れちゃいけないように思うのです。

今回の動画内で僕は、ミスチルの某曲が日本人なら誰でも知ってるだろうくらいの勢いで話していますが、全くそんなことは無い訳で。
そもそもカヴァー曲の演奏っていったって、そこには

・全ての人に自分の演奏が聴いてもらえる訳ではない
・自分の演奏を聴いた全ての人がその曲を知っている訳ではない
・その曲を知っている人全てがその曲のことが好きな訳ではない
・その曲を好きな人すべてが自分の演奏を気に入る訳ではない
・自分のカヴァー演奏を気に入ってくれた全ての人が自分のオリジナルも気に入ってくれる訳ではない
・自分のカヴァー演奏が気に入らなかった全てお人が自分のオリジナルも気に入らない訳ではない

というね、なんだか茫洋壮大な前提条件があるじゃないですか。
今回僕たちは楽曲を演奏する側の意識の置き所について話してはいます。
ところが、それが聴き手にとって重要かどうかというと、全てのケースで重要だとは言えないのが真実です。

『だからこそ』、僕たちは自分の中の礼節を尽くすべきなんですよね。
音楽は発した瞬間にお客さんのものになりますが、それと同時に、自分のものにもなります。

「俺馬鹿だからさ」と言う人が、そう言う度に自分は馬鹿だという悲しい自己評価で心に傷を刻むように、
仮に礼節を欠いた演奏がお客さんを喜ばせたとしても、ミュージシャン本人が悲しんでいては、無意味です。

自分に尽くす。
お客さんに尽くす。

これ相成って、真の想いやりではないでしょうか。
尽くすほどに豊かな気持ちになって、それを分かち合えることが、真の礼節ではないでしょうか。

尽くす気持ちは、追い求め続けたいところです。
さて、高い高い棚の上から、我が身を下ろしてまいります。

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