お客様が支払うお金の事について、長老と若いイケメンが語り合ったそうです。

ステージの見せ方を考えてやまない
長老と若者の往復書簡 その6.5

syokann

有料ライブと無料ライブ/お客様が支払うお金の事

おかねおかねおかね~♪おかねがふえると~~♪♪
と、あの さかなさかなさかな~ のメロディで口ずさんでしまう春の今日この頃。

そーか、ヤマモト。オマエ様もおなごには苦労しておるようじゃの。
軍手の方がまし、というのは相当な修行具合じゃな。

お金の流れを止めない、というのはよいことじゃの。
守ろうとすると腐るけれど、よい流れを作ろうとすると、お金も廻る、というのは実感じゃ。

さて、前回は我々音楽家が負うコストの問題の一端を考えたが、今度はお客様の払うお金の事じゃ。

お客様は神様です。
という言葉があるけれど、そしてあの言葉を発した三波春夫さんはエライとも思うが。
これは違うな。
基本的にはお金を仲立ちとして対等。
でも、でも。我々にはお客様を楽しませる義務がある。
そう、義務じゃ。

音楽は当たり前だが食べられん。
暖房効果も冷房効果も持っていない。
ギターの弦に触れることはできても「音楽」に触れることはできぬ。
どんなに高品質でも、その人の嗜好と合わなければ、価値を持たないしのう。
だが、うまくいけば、色々なことが上手くかみ合えば、人の心を明るくしたりよろこばせたり、
場合によっては、体までも元気にしたりする。

お客様の払うお金、というのは 楽しみやよろこびに代表される、心の充足を得るため。
それを頂いてなにがしかの芸を提供する我々は、100%お客様にすり寄っては 芸の発展もないしそれはただの隷属だし。かといって100%自分の言いたいこと・表現したいことだけではただのエゴの発露だしな。
この100%と100%の間に絶妙なポイントがあるのだろうし、そこを探すのがまた我々の仕事なんだろうしのう。

ワシやヤマモトが客として音楽ライブを見て、「損した」とか「金返せ」などと思う時、あるよなぁ。
ヤマモトはどんなときじゃ?

最善のライブを行うための準備を怠っている、と見受けられるとき、かなぁ。
もっと言うとお客様や音楽を『なめてる』と感じる時じゃ。
もうさんざん言っていることだが、下手である、とか、演奏される曲が好みでない、とかは必ずしも減点対象にはならない。
最終的によろこばせる気があるかどうか、というところだよなぁ。
この気持ちが横溢していて、なおかつ、気持ちだけでなく行動にもそれが表れていると、
詰まりは音楽の純度や結晶度を高める、ということにつながって、その結果の『感動』じゃと思うのだ。

そして、それが音楽家だけでなく、周りのスタッフやライブハウスの方達も含めて同じような気持ちの方向、テンションで『良いものを創ろう、見せよう、よろこばせよう』というのが一体になった時に 深い感動が生まれるのだと思うな。
一つのことにたくさんの人間の気持ちが集まって、佳き方向に向かおうとするそのパワー、凄いもんじゃからの。

あー、最近あまり身震いするほどの感動、にはであっておらん。
出会いたいぞよ。のう、ヤマモト。

復路 山本優作 から いしはらとしひろ へ

最近軍手をつけて庭の草むしりをすることがあるのですけど、

「なんだ有能じゃないか軍手ってヤツは。」

と感じた瞬間に、彼女様の僕に対する調教が終わる音を聞きました。
もう僕の口からは軍手を肯定する言葉しか出てきません。

そうそう、その音楽の存在というか、価値について、最近とても感じることがあるんです。
ちょっとややこしい話にもなるのですけど、考えずに感じてください。
ミュージシャンなのですから。

僕らの頭の中にあるイメージは、言葉でもなければ映像でもなければ音声でもないですよね。
それは絶えず蠢いている複雑で果てしない思考の連続で、一見膨大で捉えようのないものです。
音楽はもちろん、文学も、映画もダンスも料理も写真も、そいういうものの一部を体感できる何か別の形で具現化する行為なんじゃないかと思うんですよね。

で、ここからが面白いところで。
僕たちはその掴み所のないイメージが自分のイメージ通りに具現化されているところに出会うと、凄まじく感動するんです。
それこそ、お金なんかいくらでも出しちゃう。
この感動が価値なんですよね。

「そうそう!これこれ!」

っていう。

それを音楽のような表現の世界では、「共感」と呼びます。
僕がたまにやってるセミナーでは、「気付き」と呼びます。

で、そう考えると凄いことなんですよ。
だって、お客さんがイメージしていることが、ミュージシャンの表現を通して具現化されている、ということですから。

ミュージシャンは自分の中の変化し続けるイメージや思考にアクセスして、それを音という形に変換していますよね。
その自分のイメージとどれだけ向き合って、抜き取って、信じているかが、サウンドやパフォーマンスに反映されてきます。

このイメージの具現化率が高ければ高いほど、僕たちは感動します。
具現化率さえ高ければ、それこそ演奏のクオリティなんかは二の次です。

だから、僕が「金返せ」なんて思っちゃうライブっつーのは、この具現化率が低いライブです。
つまり、自分と向き合っていないパフォーマンスということですね。
だからいしはらさんの言葉を真似ると、

「自分のイメージをなめている人」

のライブは、ええ、客席から出て行きますよ。
自分をなめるってことは、つまりお客さんをなめるってことですもんね。

「こんなもんでいいや」

って、自分のイメージと向き合って理解しようとしていない、その深度が浅い、ってことですから。
それはつまり、お客さんのイメージの世界も同じように浅いと「なめてる」ってことだと思います。

で、そいういったイメージの具現化は、あらゆる行為を通してやっていけますよね。
そういう深いイメージをそれぞれのやり方、役割りで具現化していけたなら、そこは最高の場になりますよね。

ジョン・レノンは雑誌だかなんだかのインタビューで、「他の音楽なんか聴いてない」と答えたらしいじゃないですか。

身震いするほどの感動は、実はもう僕たちの中にあるのかもしれませんね。

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