表現活動をしていく中で生まれる、たくさんの不安や怖れを手放すには・・・

僕が好きな言葉に、

「心配事の9割は起こらない」

というものがあります。まんまこのタイトルの本が出ていたり、色々な本の中で言葉を変えて伝えられていたりします。でも、中には

「心配した通りになってるんだけど」

という方もいらっしゃる訳で。その辺をロジカルにお話できる語彙がまだ僕の中に無いんですけど、ともかく、事あるごとに不安や怖れに苛まれる我々ですから、この「心配事の9割は起こらない」って言葉はとても優しく感じます。

今日はそういう、マインド的なお話。

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僕が禅に興味を持って最初に買った本でした。

思考の前提条件をひっくり返せ。

問1.「あなたは過去は存在すると思いますか?」

「いや、するでしょうよ」

問2.「その過去はどこにありますか?」

「頭の中に記憶があるじゃないか」

問3.「記憶は記録です。あなたが経験した出来事そのものではありません。もう一度聞きます。あなたの過去はどこにありますか?」

とかね、やってられるかーッとか言ってちゃぶ台ひっくり返しちゃいそうですけど。つまり、そいういうことなんです。

過去もそう。未来もそう。そんなものは、この世のどこを探したって見つからないんです。朝起きたら体だけ過去に置いてきちゃった、なんてこと、ないでしょう?自分の息子が大人になった姿が見たくて、ちょっと未来に行ってきたなんて話、ないでしょう?

「気持ちを過去に置いて来た」なんていうのは詩的な比喩表現であって、言葉そのものを真に受けると真実を見失います。死んじゃうんじゃないかっていうくらい落ち込んでいる人も、最高にハッピーで朝が来るのをワクワクしながら待ってる人も、全く同じようにその瞬間にしか存在しません。

時間っていうのは、人が想像の中で作り出した概念でしかないんです。納得するにはちょっと時間が要りますけどね。今まで時間の存在を信じて疑わずに生きてきてる訳ですから。

でも、僕らはみんな目撃してるんです。昔いじめられたことに縛られている人が過去を憂うあまり過去に飛んで”いかない”。未来を楽しみにしている人が楽しみにしているあまり未来に飛んで”いかない”。

ね?体と思考がその瞬間以外に存在した決定的瞬間を、誰も見た事がないんです。

ちょっと長くなりましたけど、これが不安や怖れといった心配事を手放すための前提条件です。

時間

時計だって、人が勝手に作った目盛りでしかない。

諦めない。明らめる。

僕たちは今この瞬間にしか存在できなくて、過去にも未来にも干渉出来ない、ということは、誰しも体感していますよね。

でね、存在しない、干渉出来ない、そういうものに捕われてしまうと、不安や怖れといった心配事が生まれてくるんです。それは、存在しないもの、干渉出来ないものに由来する事柄は、自分にはどうしようもないんだっていうことを自分がよーく分かっているからなんです。これがね、ちょっと手を伸ばせば自分に都合良く修正できるんなら、こんなに不安になったり、怖くなったりなんかしないんですよ。

そいういう不安や怖れを手放すには、「どうしようもない」ということと、「どうなるか分からない」ということを、明らめるんです。

これね、「諦め」とはちょっと違うんですよ。「諦め」って、ちょっと下向いちゃってるイメージじゃないですか。「明らめ」っていうのは、受け入れるってことです。

・頭が大きいことを認めて、受け入れる。
・足が短いことを認めて、受け入れる。
・昔痛いことばかり言ってた事実を、受け入れる。
・未来何が起こるか分からないということを、受け入れる。

自分は自分以外にはなれないし、自分以外の人は自分になれない。過去は変えられないし、未来は読めない。そんな普遍を認めて、許して、受け入れる。これとても大事。

マイナスのフォーカス癖をフラットに戻す。

例えば、今自分が不幸だと思いながら生きている人は、不幸にフォーカスを合わせながら世界を見ています。どれだけの人に自分の作品を褒めて貰っても、たった一人に

「こんなのはダメだ」

って言われると、それが全ての人の意見のように聞こえてきます。これは、「自分の作品はダメかもしれない」という不安があるから、それを証明してくれる意見にフォーカスが合っちゃうってことなんです。そういう意見を求めている、という言い方もできます。

どんなに褒めてもらっても、良い意見を貰っても、求めていた以外の言葉は輪郭がぼやけて、見えなくなっちゃう。

これが、マイナスのフォーカス癖です。これをね、フラットにすることが大切。

フォーカスの癖をフラットにするには、やっぱり「明らめる」ことが必要なんです。

それはつまり、作品には徹底的に尽くさなきゃいけないってこと。制作当時の感性と、価値の基準と、テクニックを徹底的に追求した結果の作品であること。

これが出来ると、「これ以上のものは、今の自分には出せないんだ」ということを、素直に受け入れることができます。つまり、自分の現在の実力を「明らめる」ことができる、ということです。

そうすることで、人からもらう評価や言葉の、どこにでもフォーカスを合わせることができるようになります。

・好きだって言ってくれた人は、何が好きだったのか
・嫌いだって言ってくれた人は、何が嫌いだったのか
・無関心だった人は、どうすれば振り向いてくれたのか

全部必要です。それぞれの項目と向き合って、さらに細分化して、自分に必要なこれからのヒントになるような情報を見つけて拾い出さないとね。そうするためにも、すべてのコメントに価値があると認めて、フラットに受け入れることです。

まとめ。

少し掴み辛い話だったかもしれませんが、今回は不安や怖れ、心配事をどう手放していくか、というお話でした。

本当に、表現活動っていうのはデリケートで繊細なものだと思います。何せ、その時々自分の感情の振れ幅や感性や考えを形にする訳ですから。その制作過程は超濃厚なセルフトーク、自分に対する圧倒的な洗脳行為です。

だから、心が弱っていると、自分は弱いってことを圧倒的に確認しちゃってる訳で。それは一歩間違えれば自分を傷つけてしまう、本当に本当に危ういことです。だからこそ、表現は美しくて尊いんですけどね。

感情は揺れてもいいし、不安や怖れを抱いても構わないんです。大切なのは、それを観察する視点があるかどうかということ。悪い言い方ですが、自分の身に起こったことに対して、元来持っている主観的な視点と、ある意味人事だと捉えるような視点があるといいんですよ、ということなんです。

この記事に最後まで付き合ってくれたあなたが、あなた自身を明らめて、あなただから作れる作品で大勢の人を感動させてゆくことを、心から願っています。

では、今回はこの辺で。

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