ライブの美しい終わらせ方について。

ステージの見せ方の向上を考えてやまない
長老と若者の往復書簡録 その5

syokann

往路 いしはらとしひろ から 山本優作へ

ヤマモトよ。
最近オマエ様はなっとらんぞ!
ぶっちゃけめんどくさい、だと~~。
ワシだってめんどくさいんじゃよ。
メンドーでクサイのだよ。

いや、このめんどくさいという気持ち、ナニをするにもつきものじゃの。
仕事、家事、政治に恋愛。ナニをするにも面倒くさいことはついて回る。

ナニも考えず、なんの準備もせず、ぽんとライブをやって
それでお客様全員感動の嵐、演ずるオレも満足の嵐、なんてことが起きればよいのだが。

起きないのだよ、これが。
そんなこたぁ起きねえ。
まぁ、そんなことができたとしても達成感も何もなくて、3回そんなことが続いたら飽きてしまうよなぁ、歌う方も。

人をよろこばせるために、(自分もよろこぶために)どれだけ面倒くさい手順を踏んで、
しかもそれを面倒くさいと思わない気持ちのありよう、ってのが大事なのじゃなぁ、と思うこの頃じゃ。

そもそも音楽を人前でやる、なんてことは面倒の極みじゃな。
ライブステージ一つを取ってみても、そのステージに立つまでの 色々な段取り。
もう面倒くさいことの連続じゃ。
練習一つ取ったって時間も金もかかるしの。
もちろん自分のやりたいこと、歌いたいこと、その時の自分の実力との絡みなどで、やるべき事も変わってくるしなぁ。

だが、ミュージシャンはそのための努力をやめない。
たとえどんなにしょぼいミュージシャンでも、それなりの準備はしている。はずだ。

だがだがしか~~し。

この、すててこ。を そもそもやろうと思ったきっかけの一つが、「最低限必要と思われる そこそこの準備」すら、していないと思われる。演者が増えているようだな というのが、ちょっと目に付くな、ということだったと思う。

面倒くさいこと、いっぱいやれ。若いヤツは特になぁ。

で。ライブの終わらせ方じゃ。

良質の物語、に接するのだ。
これは小説、という意味の狭義の物語ではなく、あんたの人生に起きた物語でも、誰かの人生における物語でもなんでもじゃ。
もちろん映画や絵や色々なジャンルの芸術作品もよい。そして素晴らしい歌に潜んでいるストーリー。
たくさんのよい物語に接することで、オマエ様の中に物語のエキスを注入するのだ。

よい物語にはふさわしい終わり方がある。

それはライブの終わらせ方も一緒なのじゃよ。

面倒なことこの上ない。
でもその面倒、をお客様が喜ぶために、そしてオマエ様も、より高い次元でよろこぶために、その面倒なところをくぐり抜けてもらえんかのう?

往路 山本優作から いしはらとひろ へ

どうして突然にお叱りを受けたのか、心当たりがあり過ぎて戸惑いを隠せません。
どの件だろう・・・

何事においても【「思考」「行動」「結果」の法則】と言いますね。
「思考」が「行動」になり、「行動」が「結果」に結びつく、というもの。

「ライブハウスに出演する」

という【結果】を得るため、にいしはらさんの言う

「面倒な手続き」

という【行動】を起こすのは、

「ライブがしたいから」

という【思考】があるから、というような考え方ですね。
今回の場合は【行動】が起きないがために【結果】が伴わないという話とお見受けします。

であるのなら、やはり【思考】にフォーカスを合わせるべきなのでしょう。
つまり、最低限と思われるそこそこの準備をしている人が少ない、というのは、視点を変えれば、ミュージシャン達の中から「素晴らしいライブの基準」が失われてしまっている、ということであるように思います。

基準は思考に直結します。
僕のように

「こんなソロが弾きたい!」

という理想の基準を持たずにエレキギターを買った男が、いつまで経ってもソロが弾けるようにならないのと同じで、

「こんなライブがしたい!」

という理想の基準を持たないうちには、最低限の準備もできないでしょう。
それは、ライブという行為そのものの前提条件が弱いということですね。
短距離走で、みんながクラウチングスタートをしているのに、直立不動の体勢から走り出しているようなものです。
まぁ、実際はクラウチングスタートをしている人の方が少ないんですが。

ライブをひとつのストーリーに見立てるというのも、クラウチングスタートですね。
つまり、【行動】。

しかしそのためには、どうしてストーリーに見立てるのかという【思考】の問い掛けが必要不可欠です。

誰かの心に感動を生み出したいのか。
自分の中に満足を生み出したいのか。

少し腰を下げた姿勢からクラウチングの姿勢に移行することは簡単です。
問題は、直立不動の体勢から少し腰を下げる、というところにあります。

「0.01秒でも早く走る!」

という思考があれば、0.01秒でもタイムが縮む可能性のある行動は全て取り入れるものです。

「感動的なライブがしたい!」

という思考と、感動の基準。
練習や演出の意味は、そこからしか生まれませんからね。

今回のように唐突に叱られても悪態のひとつでも付けるよう、思考の研磨と行動の研鑽に努めます。ハイ。

ライブの美しい終わらせ方について。

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