ライブ中のMCへの取り組みで見えてくるミュージシャンの色んなこと。

ステージの見せ方の向上を考えてやまない
長老と若者の往復書簡録 その4

syokann

往路 いしはらとしひろ から 山本優作へ

今日はバカ暖かいが、明日から冬に戻るそうじゃ。
ワシは体がついて行かんぞ。ごほごほ。

そーいえば、前回の映像の文字テロップ「クリスマス会の子供に襲われる」と書くべき所を、「子供に教われる」と書いておったぞ。
オマエ様もワシを見習って「緩い脳」になってきたのかと思い、うれしかったなぁ。
気遣い溢るる、良き若者じゃ。ワシをよろこばそうと、そこまで。

ところで。
のう、ヤマモトよ。
ライブというのは作品なんじゃろうか。
たとえば、曲。CDアルバム。こういうのは作品だと思えるよのう。
作る側もそう言う意識を持って、臨んでおるはずじゃ。

だが一回のライブステージを「作品」と思って作っている人はどれくらいおるのかのう。
我々がこういうお節介を焼いておるのも、少しでも良いステージが見たいから。

そういえば、わし、最近久々に聴いたぞ、「そんなこと口にするくらいなら金返せ、おら」と言いたくなるようなそれはそれは見事なMC。
「僕ら久々に合わせるんで、練習していません。」
よくもまぁぬけぬけと。演奏の方も言うまでもなくぬるいもんじゃった。
しかもその演奏が終わった後、ご丁寧に自らに、ステージ上でだめ出しをしておった。
「合ってないですね、だめですね」
結構キャリアありそうなベテランっぽくみえる人じゃったのう。

なんでそう言う人が、ステージの上に立ちたがるのかな。いやさ、立てるのかな。
ステージに立つ前に、自らに問いかけなかったのかな。
しかも、ろくでもない演奏を皆の衆に見せてしまった後に「反省っぽい世迷い言」を、自らお客様に向かっていけしゃあしゃあと言ってしまえる、というのはスバラシイ神経だ。

ステージに立つ態度として最悪な上に、しゃべりのネタとしても最悪なサンプルにこんなところで出会えるとは。

基本、この書簡の中では ネガチブトーク をしたくはないのじゃ。
でも、久々にあんまりなものを見せられてしまったので、これは書かずにいられない。

ただ、このしゃべり、状況には反面教師として色々なものが含まれておるのう。
ヤマモトはこの状況に出会ったらどういう反応を示すか、楽しみじゃわい。
オマエ様はここからいくつくらい拾えるかな、反面教師ネタを。
大きく捉えてもミクロレベルの話しでも、なんでも結構じゃ。
ワシがネガに引っ張ってしまったから、是非、ヤマモトはポジに持って行ってくれ。若いんだしの。

ここでアタマに戻るぞ。
緩い脳、ではない。

ステージは作品か?である!
ワシはひとつひとつのステージが作品である、と思う。
あって欲しいと切に願う。

また少し脱線。
他のジャンルの、たとえば画家の作品と比べてみよう。
たとえどんなに無名で、たいしたことのない絵描きでも「絵描きだ」という誇りを持って臨んでいる人ならば、最後の一筆まで、気を抜かないだろうし、少しでも佳いもの、自分の表現したいものを込めるのに、ギリギリまで粘るだろうし、追い込むだろうと思う。
たとえ結果的に駄作だったとしてもだ。

音楽ってそう言うものじゃないじゃん、同じ土俵で比べても、と言う意見も分からなくはない。
「音楽なんだから楽しくなきゃ。」「あるいは楽しければそれで良いじゃん。」
かなり、おつむの具合を疑いたくなる発言だと思うが、まぁよしとしよう。

ライブステージの場で楽しむべきは「まずお客さん」だ。
もちろん、演奏しているワシが楽しくてお客さんも楽しいのなら最高だ。
この「楽しい」は少し幅広く捉えておくれ。
感動も泣いたも心をわしづかみされたも思わず踊ってしまったも全部含まれる「楽しい」だと思ってくれ。

「自分が楽しくなきゃ、人を楽しませられるわけないじゃん」
と言うのも良く聴く。
そう言う人には「ステージ上の自分だけしか楽しくないステージは 見ている方は拷問に等しい」と返しておこう。。

金も頭も使わず、自分の体験を豊かにするようなことにも投資せず。
そこから出てくる楽しいって、どれくらいのレベルか、想像つくなぁ。

ライブを作品として仕上げる、くらいの意気込みが欲しいぞよ。
先ほどの画家にたとえるならば、わしらはお客様の目の前で絵を描いているようなもの。
それも決められた持ち時間の中で一幅の絵に仕上げられたら素敵なことではないかな。
もちろん全てアドリブだって良い。それが大きな楽しみを生むのなら。
もちろん最初から最後まで決め決めの作り込んだものだって良い。
その作り込む過程が、既に感動を生む要素になり得るだろうし。

そしてそして。
やっと本題に触れられる。
そう思ってライブステージに挑むのなら、自ずとしゃべりの役割をどう持たせるかも見えてくるものだと思うのだが。
少なくともどういう役割を持たせたら良いか、考えようと思うんじゃあないか。

MCひとつ。
たかが、というなかれ。
曲が良くても、ここの持って行き方一つで、ぐだぐだになり得るのだからなぁ。

難しいのう、ヤマモト。
でもこういうことを詰めて考えるのも、結構楽しいのう。
ぼけ防止にちょうど良いわ。

復路 イケメンな若者 山本優作 から 長老 いしはらとしひろ へ

重箱の隅を突くようなご指摘、痛み入ります。
どうして

「入力ミスにも気付かないほどに疲弊し追い詰められているのだ可哀想にハーゲンダッツでも奢ってやろう」

という思いやりをお持ちでないのか、などとは微塵も思っておりませんが、次回はなんとか周辺の作業を早めにやっつけて、十分な体勢で編集作業に備えるよう身構えておきます。

はてさて、今回のお題。
MCの問題というか、心構えというか、ライブに対する認識、音楽をしていくことに対する認識、というレベルのお話しかとお見受けします。

正直に言うと、「すててこ。」のコンセプトをも無視して言うと、お客様を想わないミュージシャンは、別に居ても良いと思うのです。
残念な発表会も、あったっていいじゃん、と思うのです。
その代償として、彼らは「売れない」「愛されない」「認められない」というレスポンスを受け取るのです。
想わないから、愛されない。
個人的には、彼らは十分な成果を得ている思います。

ただ、業界という視点で考えた時、ステージに立つミュージシャンの意識を高めることによって音楽業界そのものを盛り上げてゆきたい「すててこ。」の僕としては、

『想えば愛されるのですよ』

と、なんかちょっと勘違いされそうなことを言ってみたいのです。

というのも、そのベテラン風のお二人がお客様を想い、1日でもリハーサルの日を作ってライブに挑んでいたなら、ライブの演奏も違っていただろうし、当然MCの内容だって違っていたはずです。

ミュージシャンがお客様を想うと、どうなるか。
早い話しが、良い演奏をするようになる訳です。
ライブ全体の構成を考えるという発想があれば、それこそMCのタイミングや内容、曲順や衣装などに気を配り、ライブをひとつの作品として作ろうとするんじゃないでしょうか。
今回のお二人の場合、そもそも二人で出演しよう、ということにはならなかったはずです。

その結果お客様の満足度が上がって次のライブに足を運ぶ機会が増えたり、感動の深度が深くなれば、大勢のリスナーの感性が豊かになります。
ミュージシャンがお客様を想えば、音楽業界はもっと盛り上がる。

「俺たちこーんなことしちゃって楽しい!」

という感覚のミュージシャンよりも

「お客さんが楽しんでくれてると最高に嬉しい!」

という感覚で演奏をしているミュージシャンの方が、圧倒的に仕上がっているし、楽しいし、魅力的です。
自分達がいる音楽業界がもっともっと楽しくてハッピーな世界になるように、まずはミュージシャンがお客様のことを想いましょうと。
それもただ相手に合わせるのではなく、自分らしくお客様を想って頂きたいと、締めておきます。

うん、MCの話しどこいった。

※文章構成:いしはらとしひろ

ライブ中のMCの役割りの話しと、苦手ならやんない方がいいという話しと、野暮はいけないという話し。

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